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興味津々
日記です。
『函谷鉾』
20180714凾谷鉾blog01
16日 祇園祭の宵山 昨年、甥に頂いた“菊水鉾”の
茅巻きを持って、烏丸で下車・・・暑い、暑い35℃はあっ
たのでは。 6月18日 高槻市が震源地と言われた地震、
家族と家屋は無事で、その感謝も込めて茅巻きを返納し
に行った。 今年は暑さに負けて、近くで目に入った“函
谷鉾”のち巻を頂いた。
 茅の輪くぐりと茅巻きは同じ、茅(かや)という字を書く
んやね・・・なるほど。 どちらも厄除けの神事に使って
いる。
20180714大丸のれんblog01
 この暑さと、大勢の人で、一旦 大丸にクールダウン。
20180714モスバーガーblog01
 熱中症予防のため、なにか冷たいものをと河原町方面
に。 もちろん行きつけの“モスバーガー”で。
 店頭にゆるキャラのモスちゃん。暑いのにご苦労さん。
観光客はツーショットで写真を写して、店内には入らず。
 数年前、真夏に彦根城に行き、ヒコニャンを見たけど、
城内の説明者は「20分が限界です」と言っていたのを
思い出した。 モスちゃんも熱中症にならないように自
己管理してください。
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『大発見』
高槻村石鉢blog01
数週間前、早朝のラジオ体操後、いつもの寄り道先で
ある野見神社の社務所の際に、写真の“高槻村”と刻ま
れた四角い石の手洗いの鉢のようなものが・・・。 長年
通ったこの神社に、こんな面白い古物が野ざらしにされ
ていた。・・・『大発見!』
 村から町、そして市制について気になったので、高槻
市のホームページで、以下の資料を引用して紹介する。

高槻市域には、1万年以上も前、いわゆる旧石器時代
から人類の住みついた跡がある。紀元前3世紀ごろに
は安満に稲作が伝わっており、やがて13~14世紀、
鎌倉時代から南北朝期にかけて、摂津国島上郡の中
心地に「高月」の地名がおこる。「月」が「槻」に変った
のは、夕日の影が生駒山まで届くという槻(けやき)の
大木に因むという伝承がある。
芥川城に拠って京都を支配した細川晴元、三好長慶
とその一族、高槻城の祖、入江左近将監春継、キリシ
タン大名の高山右近などは、戦国の乱世にあってそれ
ぞれ独自の政権を確立した。
江戸時代に入って高槻城が整備・拡大され、慶安2
年永井直清が入封すると、城下の町や領域の村々は
いっそう発展した。 大冠・三箇牧の治水、西国街道芥
川宿の経営、富田の酒造や文芸、淀川の三十石船な
どは、近世高槻地方文化の華であった。
維新の動乱を経て、明治4年7月の廃藩置県によっ
て高槻藩は高槻県と改組、さらに同年11月地方府県
の改革統合によって大阪府に編入された。高槻城は
同7年に破却され、石垣は翌年敷設された鉄道の橋
梁等に使われている。
明治22年4月1日、町村制の施行で高槻村は上田辺
村を合併して島上郡高槻村となり、郡内では島本村
を除き計10か村が成立した。同29年4月1日には島上
郡は島下郡と合併して三島郡となり、同31年10月14
日、高槻村は近隣諸村に先がけて町政を施行、大正
14年11月には富田村、昭和4年1月には芥川村があ
いついで町政を施行した。
昭和6年1月1日、三島郡高槻町・芥川町・清水村・
磐手村及び大冠村の5町村が合併して新しい高槻町
が成立、教育施設の拡充、近代工業の導入、農村産
業の育成などを図る一方、同9年9月1日には如是村
を合併「田園都市」の基盤を築いた。
太平洋戦争のさなかの昭和18年1月1日、大阪府下
9番目の衛星都市として高槻市が誕生した。戦時・戦
後の苦難のなか道路・交通・教育・近郊開発整備等、
着々と都市的要件を完備させ、昭和23年1月1日には
阿武野村、同25年11月1日には五領村を合併し、そ
の後も町村合併促進法に基づき昭和30年4月3日に
は三箇牧村を、昭和31年9月30日には富田町を合併
し、人口は年々増加するに至った。さらに昭和33年4
月1日京都府南桑田郡樫田村を合併編入し、現在の
市域となった。
昭和30年代後半からは、高度経済成長と歩調を合
わせ、本市は大阪市のベッドタウンとしての色彩を強
めた。 市内各地で宅地開発が進み、田園都市として
の姿は一変した。とりわけ昭和40年代には、急激に
人口が増加し、昭和44年には20万人を、昭和48年に
は30万人を突破した。昭和50年代に入ると人口増も
ようやくストップしたものの、人口急増による学校建設
など行政需要が増大し、本市財政は未曾有の財政難
に陥った。 その後、財政自主再建により赤字を解消し
つつ、JR高槻駅前市街地再開発や阪急高架事業な
どをはじめとした都市整備の基盤づくりに はげみ、大
阪・京都のベッドタウンとしての特色を生かしながら発
展を続け、平成15年4月1日には中核市に移行した。
・・・などなどであった。
           http://www.city.takatsuki.osaka.jp
『ほぼ同時期に』
青森県blog01
先週日曜日(8日)、和歌山での研修会で、有意義な講
演とマンホールの写真をゲットして喜んでいたのと『ほぼ
同時期』に友人のよねちゃんから弘前市のマンホールの
蓋の写真が送られてきた。 何を思い立って青森に行っ
たのか。 いずれにしても青森に行く理由が全くない小
生にとってありがたいプレゼントである。
 中央に青森県の地形が刻まれている。しかし何の蓋
なのか記されていない。
弘前市おすいblog01
 汚水の蓋で、ホームページにはりんごをモチーフにした
ものが多いが、これはそうではない。
弘前市blog03
 これも弘前市の汚水の蓋であるが、逆にホームページ
でも見られないレアなものかもしれない。 そしてこの鳥
は何の鳥なのか調べてみたい。
弘前市消火栓blog01
 これは消火栓の蓋であり、弘前市を象徴するりんごの
デザインと市章の卍が記されている。
 卍は古代インドのサンスクリット語に由来し、幸福を意
味するらしい。ヒンドゥー教や仏教では吉祥の印として
用いられるとある。 弘前市の市章になったのは藩制時
代に津軽氏の旗印として用いられ、功徳・円満の相を表
した。 そして明治33年6月から旧弘前市の市章として
用いるようになったとある。
    【米ちゃん いつもありがとうね!】
『てんてん手毬の』
20180708くろしお1号blog01
8日(日曜日) 午前7時33分 新大阪発 新宮行きの
“くろしお1号”に乗り、和歌山へ。
 第一の目的は10時からの研修会であるが、第二の
目的はもちろんマンホーラー(マンホールの蓋の写真の
収集家)としてである。 和歌山までの時間は1時間余り。
20180708和歌山市blog01
 駅周辺なのに、カラーではなくモノクロの汚水の蓋
20180708和歌山市合流blog02
 これは多分、汚水と雨水の合流の蓋か、そしてNo14,
お城付近は25番か? とにかくデザインは 西条八十
作詞、中山晋平作曲の“手毬唄”・・・(てんてん手毬の
手がそれてどこからどこまでとんでった・・・紀州の殿様
の籠の上まで・・・)
    【残念、カラーだったらどれだけきれいか?】
  そうそう 昼休みは会場(JA和歌山)から徒歩7,8分
の“井出商店”というラーメン屋さんに8人で、店構えは
ともかく美味しかった。 さすがラーメン通の中では有名
らしい。 デザートに会場内1階のパーラで、同じ丸ごと
生ピーチのパフェを注文したのに、時間差付けて、普通
のピンクと白桃が、どうして種類が違ったのか、もめなが
らの味比べで、どちらも納得したようだ。
『慌ただしく』
20180702亀blog01
7月2日 ここのところ地震も含めて日本列島の地盤と
上空が、慌ただしく変化している。 地球そのものが変
化しているのか、嫌な予感がする。
 それは6月18日の大阪北部の地震から、各地にも地
震が。 また各地で集中豪雨や竜巻を伴う梅雨も7月
に入るや、関東で梅雨明け宣言。 高槻でもその宣言
はないもののアブラゼミの鳴き声が。
 そして早朝6時過ぎの城跡公園の砂地に、25Cmもあろ
う亀が急ぎ足で池に向かっていた。 その様子を見てい
た年配者が、「どこかで産卵したあと池に戻ろうとしてい
るやね、池の周辺は鋪装してあるし、安全で柔らかい土
のあるとこを探して生んできたんとちがう。 せやけど池
の場所がわかるんやね」・・・日が上がったこんな目立つ
ところを歩いて、 散歩やラジオ体操をしに来ている人が
いるから天敵から免れているんだろう。 しかし亀にとって
見れば命がけで池に帰ろうとしているように見えた。
20180702蓮blog01
そして毎年7月半ばに咲いていた本行寺の蓮の花が
2輪開花した。
 2日午後5時過ぎから、雷を伴うゲリラ豪雨、近くの
スーパーで落雷があったらしい。 今朝(3日)いって
みると、 この一輪が切り取られていた。たぶん強風
と大粒の雨で折れてしまったのか、切り取られていた。
  【あー 写真を写しておいてよかったと思った】
20180702蓮blog02

20180702蓮blog03
『名場面』
楠木正成親子blog01
某小学校の正門裏の左に懐かしい石像が、写真の
通り、楠木正成と息子の正行との“桜井の別れ”の『
名場面』である。 湊川の合戦に赴く際に、正行も父
と一緒に死ぬことを望むが、「生きて南朝方のために
戦ってくれ」と諭している場面である。 その後で故郷
へ戻っていく正行を歌った歌が・・・「青葉繁れる桜井
の・・・・・・・」である。
二宮金次郎blog01
 その左横に“二宮金次郎さん”が岩に座って読書
をしている。 歩きながらの読書は危ないので、読
書するときは座りましょうと教えてくれている。
 しかし、現代 そのまま歩きながら、また自転車で
走行しながらスマホをしている人に見てほしい姿で
ある。 きっと答えは「別に、それがどうしたん・・・」
雨水貯留施設blog01
 野見神社の左横、昔の市民グラウンド(高槻城の内
堀)と市民プールだったところに雨水貯留施設が建設
中で、最近 安満遺跡(京大の農場後)後に、大規模
な貯留施設の進捗状況を写したボードが貼られてい
た。 つまり当地もこのような施設になりますとの掲示
か。 知りたいのはその上部に何ができるのかである。
『早速』
20180627茅の輪くぐりblog01
今日は7月1日、6月27日の話題で恐縮。実は野見神社
の茅の輪の横に正式な説明書が立て札で示されたので
記す。
京大総合博物館blog01
 その前日25日に友人から、「京大の総合博物館・・・
面白いよ!・・・その近くに有名な金平糖やさんが・・・」、
「博物館は知らんけど、金平糖屋さんは聞いたことがあ
る」・・・で、翌日27日に『早速』、その博物館に・・・
文化史、自然史、技術史、さすが多くの著名な学者さん
を排出している大学だと思える博物館でった。 最も興
味があったのは、霊長類の分野で、猿の脳で老化のメ
カニズムを解明し、その研究をどのように人間に応用で
きるかのDVDを40分間ジュックリと見た。
 最後に、売店があり、なにか記念になる物を探した結
果、宇宙食としての、常温で食べる、バニラといちご味
のアイスクリームを買った(写真)。 
 感想はバニラ味のサクサクのラクガンという感じ。
緑寿庵blog01
そして、一筋西に10分ほど歩いたところに、TVでも時々
紹介される “金平糖屋さん” にたどり着いたが、生憎
休みであった。
  【京都高島屋の地下にその商品があるらしい。】
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