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興味津々
日記です。
『しまった順序が逆』
20180813栗blog01
今朝13日 ラジオ体操での小生の定位置の後ろに
ある栗の木である。 最近いくつかずつ青い栗の実が
落ちていて、家で飾るのに持って帰る人がいる。
 数日前に立秋が過ぎ、暦の上では秋、 しかし
 残暑見舞いの挨拶も当てはまらない、 猛暑、蒸し
暑い、台風も続いて14号(勢力が弱まり 熱帯性の
低気圧に変身)が。
20180813落ちた栗blog01
 垣根の裏側では青い実や茶色の実がゴロゴロと
転がっていた。 実が付きすぎて、美味しく実るため
には、自らの間引きなのか自然界は優性保護主義
である。 
お墓参りblog01
 さて、本題であるが、6月18に大阪北部を震源地と
した地震で、我が家の仏壇が倒れはしなかったが、
中のものはこぼれ落ち(仏像たちは大丈夫、根性で
とどまった)、膳の上のものは、灰ともども飛び散っ
たので、大掃除並みの掃除後、仏壇を閉めてしまっ
た。 
 今年のお盆の供養は、14日午後6時45分頃という
ことで、急いでお墓の掃除とお花の準備をすませて、
帰宅後、仏壇周辺の掃除とセッティング、そして
迎え火(関西だけか?)を・・・。 
 明日は仏様用の配膳を。
 よく考えると順番が無茶苦茶。
 仏壇の準備と配膳→迎え火→仏様の帰宅中に
お墓の掃除のはずである。 『順番が逆』で思いつ
きで、やりやすい順番でやっていた。 もしかして
ボケてきたのか、もっと前から自覚はしているが。
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『函谷鉾』
20180714凾谷鉾blog01
16日 祇園祭の宵山 昨年、甥に頂いた“菊水鉾”の
茅巻きを持って、烏丸で下車・・・暑い、暑い35℃はあっ
たのでは。 6月18日 高槻市が震源地と言われた地震、
家族と家屋は無事で、その感謝も込めて茅巻きを返納し
に行った。 今年は暑さに負けて、近くで目に入った“函
谷鉾”のち巻を頂いた。
 茅の輪くぐりと茅巻きは同じ、茅(かや)という字を書く
んやね・・・なるほど。 どちらも厄除けの神事に使って
いる。
20180714大丸のれんblog01
 この暑さと、大勢の人で、一旦 大丸にクールダウン。
20180714モスバーガーblog01
 熱中症予防のため、なにか冷たいものをと河原町方面
に。 もちろん行きつけの“モスバーガー”で。
 店頭にゆるキャラのモスちゃん。暑いのにご苦労さん。
観光客はツーショットで写真を写して、店内には入らず。
 数年前、真夏に彦根城に行き、ヒコニャンを見たけど、
城内の説明者は「20分が限界です」と言っていたのを
思い出した。 モスちゃんも熱中症にならないように自
己管理してください。
『大発見』
高槻村石鉢blog01
数週間前、早朝のラジオ体操後、いつもの寄り道先で
ある野見神社の社務所の際に、写真の“高槻村”と刻ま
れた四角い石の手洗いの鉢のようなものが・・・。 長年
通ったこの神社に、こんな面白い古物が野ざらしにされ
ていた。・・・『大発見!』
 村から町、そして市制について気になったので、高槻
市のホームページで、以下の資料を引用して紹介する。

高槻市域には、1万年以上も前、いわゆる旧石器時代
から人類の住みついた跡がある。紀元前3世紀ごろに
は安満に稲作が伝わっており、やがて13~14世紀、
鎌倉時代から南北朝期にかけて、摂津国島上郡の中
心地に「高月」の地名がおこる。「月」が「槻」に変った
のは、夕日の影が生駒山まで届くという槻(けやき)の
大木に因むという伝承がある。
芥川城に拠って京都を支配した細川晴元、三好長慶
とその一族、高槻城の祖、入江左近将監春継、キリシ
タン大名の高山右近などは、戦国の乱世にあってそれ
ぞれ独自の政権を確立した。
江戸時代に入って高槻城が整備・拡大され、慶安2
年永井直清が入封すると、城下の町や領域の村々は
いっそう発展した。 大冠・三箇牧の治水、西国街道芥
川宿の経営、富田の酒造や文芸、淀川の三十石船な
どは、近世高槻地方文化の華であった。
維新の動乱を経て、明治4年7月の廃藩置県によっ
て高槻藩は高槻県と改組、さらに同年11月地方府県
の改革統合によって大阪府に編入された。高槻城は
同7年に破却され、石垣は翌年敷設された鉄道の橋
梁等に使われている。
明治22年4月1日、町村制の施行で高槻村は上田辺
村を合併して島上郡高槻村となり、郡内では島本村
を除き計10か村が成立した。同29年4月1日には島上
郡は島下郡と合併して三島郡となり、同31年10月14
日、高槻村は近隣諸村に先がけて町政を施行、大正
14年11月には富田村、昭和4年1月には芥川村があ
いついで町政を施行した。
昭和6年1月1日、三島郡高槻町・芥川町・清水村・
磐手村及び大冠村の5町村が合併して新しい高槻町
が成立、教育施設の拡充、近代工業の導入、農村産
業の育成などを図る一方、同9年9月1日には如是村
を合併「田園都市」の基盤を築いた。
太平洋戦争のさなかの昭和18年1月1日、大阪府下
9番目の衛星都市として高槻市が誕生した。戦時・戦
後の苦難のなか道路・交通・教育・近郊開発整備等、
着々と都市的要件を完備させ、昭和23年1月1日には
阿武野村、同25年11月1日には五領村を合併し、そ
の後も町村合併促進法に基づき昭和30年4月3日に
は三箇牧村を、昭和31年9月30日には富田町を合併
し、人口は年々増加するに至った。さらに昭和33年4
月1日京都府南桑田郡樫田村を合併編入し、現在の
市域となった。
昭和30年代後半からは、高度経済成長と歩調を合
わせ、本市は大阪市のベッドタウンとしての色彩を強
めた。 市内各地で宅地開発が進み、田園都市として
の姿は一変した。とりわけ昭和40年代には、急激に
人口が増加し、昭和44年には20万人を、昭和48年に
は30万人を突破した。昭和50年代に入ると人口増も
ようやくストップしたものの、人口急増による学校建設
など行政需要が増大し、本市財政は未曾有の財政難
に陥った。 その後、財政自主再建により赤字を解消し
つつ、JR高槻駅前市街地再開発や阪急高架事業な
どをはじめとした都市整備の基盤づくりに はげみ、大
阪・京都のベッドタウンとしての特色を生かしながら発
展を続け、平成15年4月1日には中核市に移行した。
・・・などなどであった。
           http://www.city.takatsuki.osaka.jp
『慌ただしく』
20180702亀blog01
7月2日 ここのところ地震も含めて日本列島の地盤と
上空が、慌ただしく変化している。 地球そのものが変
化しているのか、嫌な予感がする。
 それは6月18日の大阪北部の地震から、各地にも地
震が。 また各地で集中豪雨や竜巻を伴う梅雨も7月
に入るや、関東で梅雨明け宣言。 高槻でもその宣言
はないもののアブラゼミの鳴き声が。
 そして早朝6時過ぎの城跡公園の砂地に、25Cmもあろ
う亀が急ぎ足で池に向かっていた。 その様子を見てい
た年配者が、「どこかで産卵したあと池に戻ろうとしてい
るやね、池の周辺は鋪装してあるし、安全で柔らかい土
のあるとこを探して生んできたんとちがう。 せやけど池
の場所がわかるんやね」・・・日が上がったこんな目立つ
ところを歩いて、 散歩やラジオ体操をしに来ている人が
いるから天敵から免れているんだろう。 しかし亀にとって
見れば命がけで池に帰ろうとしているように見えた。
20180702蓮blog01
そして毎年7月半ばに咲いていた本行寺の蓮の花が
2輪開花した。
 2日午後5時過ぎから、雷を伴うゲリラ豪雨、近くの
スーパーで落雷があったらしい。 今朝(3日)いって
みると、 この一輪が切り取られていた。たぶん強風
と大粒の雨で折れてしまったのか、切り取られていた。
  【あー 写真を写しておいてよかったと思った】
20180702蓮blog02

20180702蓮blog03
『早速』
20180627茅の輪くぐりblog01
今日は7月1日、6月27日の話題で恐縮。実は野見神社
の茅の輪の横に正式な説明書が立て札で示されたので
記す。
京大総合博物館blog01
 その前日25日に友人から、「京大の総合博物館・・・
面白いよ!・・・その近くに有名な金平糖やさんが・・・」、
「博物館は知らんけど、金平糖屋さんは聞いたことがあ
る」・・・で、翌日27日に『早速』、その博物館に・・・
文化史、自然史、技術史、さすが多くの著名な学者さん
を排出している大学だと思える博物館でった。 最も興
味があったのは、霊長類の分野で、猿の脳で老化のメ
カニズムを解明し、その研究をどのように人間に応用で
きるかのDVDを40分間ジュックリと見た。
 最後に、売店があり、なにか記念になる物を探した結
果、宇宙食としての、常温で食べる、バニラといちご味
のアイスクリームを買った(写真)。 
 感想はバニラ味のサクサクのラクガンという感じ。
緑寿庵blog01
そして、一筋西に10分ほど歩いたところに、TVでも時々
紹介される “金平糖屋さん” にたどり着いたが、生憎
休みであった。
  【京都高島屋の地下にその商品があるらしい。】
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