興味津々
日記です。
『瓦 その3』
三巴文blog02
 沖縄の瓦でもみられたよくある三つ巴の瓦。
 どこで入手したのかは記憶にない。
三巴文blog03
 もしかして骨頭店で入手したのか、偶然にも姫路城で
みられたいくつかの瓦の内、同じ紋が松平家のもので、
これがそうならうれしい。
梅文blog01
 天満宮でみられる瓦で梅の紋。
寶積寺blog01
 京都府乙訓郡大山崎町銭原にある天王山の寶積寺の
瓦で、十数年前に屋根瓦のふき替えと柱の取替え工事
のときに、仏像教室の知り合いからこの瓦と剥げ落ちた
朱塗りの柱の一部をいただいた時のものである。

 寶積寺(ほうしゃくじ)は、天王山中腹にある真言宗智
山派の仏教寺院。山号は天王山または銭原山(古くは
補陀洛山といった)、本尊は十一面観音である。724年、
聖武天皇の勅命を受けた行基による開基と伝えられて
いる。 真っ黒な大きい大黒天が祭られているのでも有
名である。
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『瓦 その2』
菊文blog01
 恐れ多くも“菊のご紋”・・・20歳台後半からの趣味で、地元
の骨頭屋さんで入手したもので、価格は記憶にありません。
葵blog01
 これまた恐れ多くも“葵のご紋”・・・全くどこで誰から入手し
たか、記憶にありません。元から(先代さん)あったのでもあり
ません。
沖縄三巴blog01
 約40年前 沖縄の西表島に20日間ほど滞在した時に、地元
の方からいただいたもので“三つ巴”・・・因みに我が家の男紋
は“一つ巴”です。
沖縄blog02
 西表島から石垣島、そして沖縄本島へと帰宅途中・・・本島
の国際通りの骨頭屋さんで入手したものです。 このご紋はな
んの花かわかりません。
             【次もお楽しみに!】
『姫路城 瓦』
姫路城主家紋blog01
 20歳代に姫路城で写した写真で、このころから家紋に
興味があったのか、よく残していたものである。
確かに、源氏車文がある。石垣に貼り付けられた家紋。
姫路城主家紋blog02
 右端の十字紋は黒田家(大河ドラマで有名になった黒田
官兵衛)のもので、当時 羽柴秀吉(天正8年 1580年)
の側近として仕えたとされている。 羽柴秀長(天正10年
1582年)で羽柴家としては10年間であった。
榊原氏源氏車文楓blog01
 はがきにでもできる楓の板に、榊原家の源氏車文をボー
ルペンと色鉛筆でスケッチした。
【先輩 ありがとうございました。 タイムスリップをさせて
いただきました。】
『姫路城主 榊原氏』
榊原氏 源氏車文blog01
 昨年11月上旬 名古屋の国際会議場で久しぶりにあった
垂水の先輩と意気投合し、小生の収集癖の話をしている途
中に、マンホールの蓋から瓦の話になった時、先輩が「うち
に姫路城の瓦あるで、いらんか?」と唐突に・・・「なんでそ
んなものが? いいんですか?」・・・「えーよ」・・・数日後
「あるはずなんやけど、どこになおしたのか、わからんように
なった」・・・と電話。
 そして今年の1月4日か5日・・・「あつた あった どないし
ょ?」、「送ろか? それとも大阪で落ち合をか?」、「すんま
せん、そしたら大阪でお願いします」・・・結局12日 神戸三
宮でいただくことに・・・。
 早速 近くの喫茶店で拝見・・・木箱から原型をとどめ綺麗
な形で保存されて、歴代城主一覧表と城主の瓦文のコピー
用紙まで、さらに瓦釘まであり・・・すばらしい・・・「これは家
宝ものですよ! 本当にいいのですか?」と念を。答えは「え
ーよ!」
榊原氏瓦釘blog01
 どうも姫路城西の丸屋根瓦釘で約26Cm(8寸)
屋根瓦に使用する釘の中では最長だと思う。
姫路城歴代城主家紋blog02
 いただいた瓦は、最上段の右端のもので、榊原氏の源氏
車文とあった。 平安時代の源氏が使っていた牛車の動輪
をかたどったものなのか。 因みに京都市のマンホールの
蓋のデザインは祇園祭の鉾に着いている動輪の形である。
姫路城歴代城主blog01
 姫路城歴代城主一覧表では 正慶元年(1332年)赤松則
村~明治元年(1868年)酒井忠邦までの536年間に、榊原
氏は慶安元年 (1649年)榊原忠次→→→寛保元年(1741
年)榊原政永まで92年間(37年間は松平家と本多家が城主
となる)、榊原家だけでも55年間で6名もめまぐるしく代って
いる。それだけ国とり合戦で世の中が厳しかったのであろう。
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