
今日(14日)友人から「竹の子いかが?」のメールが。
『やったー!』ありがたいお話し・・・早速お昼にご持参いただ
いた・・・ウフフフ・・・今晩は“わかたけ”だ。
息子さんとご主人が取立てにあらかじめ湯がいて頂いてい
たらしい。 山椒の葉は我が家でできたもの・・・とっても
美味しく頂きました。「御馳走様でした!母親も喜んでいまし
た。」 左は娘用に残しておきます。


そういえば“堺市のマンホールの蓋”の写真も頂いていまし
た。 堺市は制令都市なのに“合流水”で汚水と雨水が同じ
下水で処理されているらしい。
上は燈台を 下はアヤメ? 鳥? 花?を モチーフに。
「どうも ありがとうございました」

昨日13日は母親と家内の三人で京都の“金剛能楽堂”に参
りました。 というのは以前ご指導いただいた能面師 加地
幹春先生に招待状をいただき、なんと『八島』に登場する
塩屋の“老猟師には朝倉尉“と“幽霊の義経には平太”の面
を、いずれも加地先生の製作されたものを付けられるという
ことで・・・。

旅僧が一夜の宿にと浜辺の塩屋に訪ね、漁師に執拗に頼
むが断れ、ついに塩屋の主 老猟師(亡霊)がでてきて、
ここは壇ノ浦の合戦で平家の軍勢が屋島に逃げ延びた所で、
追い詰めた義経の幽霊が出る所とさとし、それでもよければ
泊まりなされ・・・と。

案の定、義経の幽霊が夢の中に出てきていろいろな武勇伝
をいうが、最後に義経が自分の弓を離したことから、逃げ落
ちる平家の軍勢の方へとその弓が流され、目前の敵の後部ま
で決死の覚悟で泳いで取り戻した・・・という話しを旅僧に
説いたという物語であった。

『屋島』は世阿弥元清が作者で四国高松の屋島を舞台にし
ているが、喜多流や金剛流は『八島』と表示している。
添付資料は母親の観世流の謡曲本(二の二)【訂正著作者
観世左近、印刷者は檜 常太郎、発行所は檜書店 昭和
三十九年十二月十日発行】より引用した。
とにかく加地先生のおかげで母親共々日本の伝統芸能に
ドップリ浸り、感動して参りました。

12日 急に『わかたけ』が食べたいと娘がいいだし、そういえ
ば今年は食べていない。近くのスーパー二箇所にはなく、長
岡天神へ行くことに(3日に行ったばかりなのに)・・・阪急電車
で約10分か?
京都に向かって駅を挟んで前後に踏切があり、後部の踏み
切りに通じる車道で、そこから天満宮まで一直線上に数か所
で竹の子を売っているはず。
写真は踏み切り付近の民家や商店が立ち並ぶ間に、“埋蔵
文化財発掘調査中”の看板が・・・そういえば長岡京市は歴史
的に平安京の都(8世紀後半に日本の都)とした時代もあった
らしい。

時間的に“竹の子”の直売店も露店も店じまいで間に合わな
かった。目に付いたのが“竹の子最中”の看板で、関西TVの
「よーいドン!」で紹介され“となりの人間国宝の証”をもら
ったらしい。

この松だけにこんなに“松ぼっくり”が・・・松の品位を壊すよ
うな付きかた。かといって地面には一つも見当たらない。これ
からボタボタ落ちるのか?
「ということで今晩の『わかたけ』はあきらめたとさ」
・・・「わかったけ?」(河内弁で洒落ました)

5月4日 午前9時ごろか 雨こそ降らないが クラウディー
デー 新幹線(のぞみ)の『上り』で大井川を通過中、晴天な
れば右端に“富士山”が見えるはず!



5月5日は五月晴れか 午後3時過ぎに『下り』の“のぞみ41号”
からの写真で、気がつけば大井川からの写真を撮るべきであった。
うっかり! 残念!





