興味津々
日記です。
『不明門前の木橋』
高槻城不明門発掘現場blog01
 8月11日(祭日:山の日) やっぱりラジオ体操の帰り道。
ちょうど市民プールの跡地の東側(高槻第一中学校の向い)
の囲いの幕がはずされていて、金網越しに高槻城の不明門
に渡す堀の部分が発掘されているのが見えた。
現場は野球専用の市民グランドの跡地である。
 右の建物は市民会館でその先(西)に市役所がある。
 城跡公園や近くの歴史博物館の周辺には、高槻城築城
400年と記した旗が所々で設置されている。
高槻城不明門発掘現場blog02
 ドローンがあればなー と思いながら背伸びをして撮影。
高槻城遺跡blog01
 確か、讀賣新聞の記事をスクラップブックに貼り付けてい
たはず・・・と本棚をあさった。
【2017年6月2日 金曜日 讀賣新聞 北摂板 25頁より
引用】
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『虫が好く人、好かん人』
20170810セミblog02
 ここのところ 話題がラジオ体操ばかりで恐縮。 最近行動
範囲が狭く、正直 ブログネタに困っている。
 やはり今朝のラジオ体操前に、どこから着いてきたのか、一
匹のクマゼミが左足のズボンのすそに、・・・それまで いつも
の準備運動まで気がつかなかった。 ひょいと左足をバーに
引っ掛け、ハムストリングをストレッチしようとしたところでその
セミをみつけた。 いっこうに逃げそうにもなく 虫、いや無視
して所定の場所に移動・・・そばにいた年配の男性と女性に
目を合わし、足元を指さし、「私 虫の好く人」というと、にやっ
としただけで反応が薄かった。
 『虫が好かん』という慣用句・・・昔からヒトの体内に“虫”が
いて、人間の感情を支配していると考えられていた。
「かんの虫」、「腹の虫」などが用いられている。

 ところでその足元 地面では、アリがうろちょろ、うろちょろ
・・・見つけにくい、今噂の“ヒアリ”でなくて良かった。
ヒアリblog01

ヒアリblog02
 兵庫や大阪でもみつかったという。
はとblog01
 ラジオ体操の帰り、多くの鳩が、餌待ちしているのか1箇所
に集合(餌付けは禁止の立て札があるのに)。
 ここで、“ヒアリ”と“鳩”で“ヒアリハト”、いや帽子の方が良
かったかな・・・“ヒアリハット”。「できたブログネタ」と虫が騒
いだ。
『7月30日の蓮』
20170730本行寺蓮blog01
『7月30日の蓮』で、本行寺での開花は遅く、この時点でも
いくつも、赤と白の蕾を残し、ラジオ体操の帰り道に観賞で
きている。

今朝 8月8日でも、赤と白の花と蕾を4輪残している。
蓮の絵blog01
 この図は、8月1日に見た一輪の花をモデルにし、はがき
大の薄い板に4枚描き、木製のはがきにし、いつしかポス
トに入れる。
『おばさんたち』
20170727梅雨明けblog01
 写真は、城跡公園内の梅雨明けの古木で、木肌にいろん
な色の苔が生している。
今朝 7月最後(31日)のラジオ体操に・・・体操直前に真後
ろの70歳を超えているであろう ご婦人二人の会話・・・
「今日 白のズボンをはいてきたけど、パンツ透けてる?」
「いや わからへんで」、「濃い色のパンツやったら透けるか
も知らんけど・・・」・・・さぁー という気力も失せ、ダラダラ体
操に。
 家内に話すと女はいつまでもその気持ちを忘れてはいけ
ないのです・・・と。 そういえば白いズボンをはいたご婦人、
早朝から“厚化粧”やった。  他のおばさんたちはみんな
スッピンなのに。

 別のおばさん(80前後か?)・・・陽射しはないのに、この
むしむしする早朝、長袖に手袋、おまけに日傘を・・・この諦
めない精神・・・何歳まで生きるつもりなのか?
 この話を家内にすると、曇っていても紫外線はきついし、
素肌に当たるとアレルギー様の皮膚炎を起こす人かもしれ
ない・・・と、反論。 「そうですか」と そこまででおわり。
 同じことを公人が人前で言うと、大騒ぎになるのかな?
20170727本行寺blog01

20170727本行寺blog02

20170727本行寺blog03
 3枚の蓮の花は、27日の本行寺さんの蓮で、形はこちらの
見慣れたシンプルなものが好きである。
    【こちらの 今年の蓮は開花が遅いようである】
『蟷螂山』
20170715祇園祭blog01
 過日7月15日 祇園祭に(日中 かんかん照り)
 いろいろな鉾を見たが、今年は西洞院通りと四条通りの
交叉する北側にある『蟷螂山』をしっかり見た。
蟷螂山blog01

蟷螂山blog02

蟷螂山blog03
 蟷螂山 御所車の屋根上に大蟷螂(かまきり)が乗る珍し
い組合わせの蟷螂山は中国の古典の物語に由来して作ら
れたとある。 かまきりが自らの力をも顧みず斧をもって強
敵にたち向かう姿を「蟷螂の斧を以て隆車の隧(わだち)を
禦(ふせ)がんと欲す」と書かれているそうである。
 蟷螂山は応仁の乱より前にあった記録が残っているようで、
元治の兵火(1864)での焼損や、その後も再三の火災に逢っ
たが、昭和56年(1981)に大修理が完成し再び巡行に加わっ
たと記されている。
  【http://kyoto-k.sakura.ne.jp/gion111.html より】
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